御礼のこと

 平素より門信徒の皆様におかれましては当寺護寺発展の為にご尽力を賜り誠に有り難うございます。
 寺報「やすらぎ」32号の紙面をお借りし、一言お礼の言葉を述べさせていただきます。
 下の詩は私の弟(常照寺住職)が母を想い綴ったものであります。
 母の葬儀には遠くからお詣りいただき又たくさんの方々からのご香儀、暖かいお言葉をかけていただきまして本当にありがとうございました。
お陰さまで心のこもった葬儀が出来ました。この紙面を借りてお礼申し上げます。
 母は約100年、1世紀の永い生涯を閉じ6月18日にお浄土へまいらせていただきました。
 ふり返りますと母は歌志内広大寺の三女として生を受け(大正3年4月13日生)茂尻説教所に着任していた島根県長玄寺の四男、佐々木重誓と結婚致しました。
11人の子宝に恵まれ、私は次女でありますが小さな時に兄弟5人が亡くなり現在6人が健在であります。
 母は開基坊守として、父と一緒に本堂、庫裏、鐘楼堂、納骨堂を物のない時代にご門徒の方々一丸となって建立したと聞いて居ります。私はまだ幼少だったので、うるおぼえですが、本堂建立の時の盛大なもちまきの光景が思い出されます。
 又、父は昭和14年頃にノモンハン事件に出兵し、旧満州チチハルへ移住し、母もその時は一緒に異国の地を踏んだそうです。
 たくさんの子供、孫、男の子は全員僧侶にならせていただいたのが母のよろこびでもありました。
 特に私は忙しいお寺に嫁いだので、常照寺がひまな時はよくお手伝いにきてくれ、台所仕事は一手に引き受けてくれたこと、現住職の誓之、千重子、通子の成長をとてもよろこんでくれていました。晩年はたくさんの孫達、ひ孫に囲まれながらの生活でしたが、年には勝てず、とうとう病院に入ることとなりました。病院に見舞に行くととても喜んでくれ、三人の娘の名前をよく呼んでくれました。
 明るい人柄でユーモアがあり話し好きの正確でご門徒さんと親しく接している姿を見せてもらうたびに私も母を見習いながら又、お手本としながら生活させていただこうと思いました。
 老いて病んでゆく老病死をまざまざと見せつけたその生き様は残された子供達孫、ひ孫たちの今後の人生の歩みに、大きな影響を与えてくれたと感謝しております。
 私も安楽寺に嫁いでもうすぐ50年になりますがこれからも、ご門徒の方々にお育ていただきながら私の出来るお手伝いをさせていただこうと思って居ります。
 ありがとうございました。

合 掌

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