特集 浄土真宗のこれから ~御門主様 新門様のご対談・後編~

 築地本願寺親鸞聖人750回大遠忌法要をお迎えするにあたり発刊されました記念冊子である、「浄土真宗のこれから」。
現代における大遠忌法要の歴史的意義の上に、これからの宗門の展望や首都圏開教の抱負などについて、御門主様と新門様からお伺いし、対談形式でまとめた内容となっております。
せっかくの御門主様と新門様との御対談ですが、残念ながら1ヶ寺1冊だけの配布であり、なんとかご門徒の皆様にお伝えさせていただきたいと思い、こちらに抜粋させていただきました。先号にて前編を記載させていただきました。今号は後編ということで、お伝えします。じっくりご高覧下さい。

築地本願寺の役割

――  新門さまは築地本願寺副住職としてお勤めですが、築地本願寺についてどうお考えでしょうか。

【 新門 】
 私は、築地本願寺の副住職を勤めて5年になります。就任当時は「築地本願寺」は通称で、正式には「本願寺築地別院」であり、全国の別院の一つでした。これまでに、全国の他の別院へもお参りさせていただく機会がありましたが、この築地本願寺は教区内のご住職や寺族の方々が熱心に支えようとされている熱い思いを感じます。それは、例えば報恩講や宗祖降誕会など、法要の際の教区関係者の協力態勢にもはっきり表れています。
 私は大学時代に東京におりまして、その後8年間京都にいて、築地本願寺の副住職になったわけですが、その8年間の変化の大きさに驚かされました。 交通機関も変わりましたし、人々が集まる新しいスポットがいくつもできています。また、築地本願寺に比較的近い地域で、高層マンションが続々と建設されています。中には、一棟に約2,000戸の住居があるものもあります。マンションが一棟建つたびに、数千人の方が転入されて来ることになります。
築地本願寺は中央区にあります。以前ここでは、4年間という都議会議員の任期中に、有権者の半数以上が区外から転入したひとに替わってしまったことがあったそうです。東京は、変化の激しい町であるということを実感します。
 私が築地本願寺の副住職となってからも、築地本願寺が地域と協力して開催している、花祭りや盆踊りの規模が年々拡大しています。
 そして、このたび、築地本願寺は浄土真宗本願派の直轄寺院となり、正式に「築地本願寺」と名のるようになりました。東京・首都圏での伝道のあり方を模索しながら、さまざまな試みを実行していかなければなりません。

写真:8月初旬に開催される築地本願寺納涼盆踊り

【 門主 】
築地本願寺が直轄寺院になったのは、何よりも首都圏開教を今まで以上にやりやすくするためです。既に首都圏には、本願寺派の寺院が何百もあります。そうしたお寺は、従来通り活動していただく。築地本願寺はそれがやりやすくなるようさらにお手伝いする。
 しかし、首都圏は人口から比べると寺院数は少ないので、既存のお寺からつながるご門徒には限りがあります。今までご縁を結べなかった方々へ築地本願寺がご縁を創っていくそれが根本だと思います。
【 新門 】
 本願寺の別院は全国にありますが、各別院は本山が距離的に遠いので、それぞれの地域で本山に代わる役割を果たして来ました。つまり、今現在それぞれの地のご門徒にとっての本山に代わるお寺です。築地本願寺も各地の別院と同じように、関東・東京教区における本山に代わるお寺ですが、それだけではない、もう一つ大事な役割があると思います。今まで、仏教とご縁がなかった方々、それぞれの郷里を出て、首都圏に暮らすなど現在はお寺とのご縁が薄い方々へみ教えを届けるという役割です。
 築地本願寺のすぐ隣には。有名な築地市場があります。多くの観光客の方が毎日来ていて、この築地本願寺の境内や本堂にもぶらりと入って来られる。
 その中には外国の方もたくさんいます。ご門徒以外の方が、こんなに入って来られるような別院はどこにもありません。そうしたこと一つをとっても、築地本願寺は他の別院とは異質であることは明らかです。わざわざ、直轄寺院になったのは、そうした方々へ積極的な取り組みを行っていく、という意志の表明と言えると思います。

写真:東京の中心部中央区に位置する築地本願寺

【 門主 】
既に首都圏で開教に努力されている方々を、今後も支えていくことが必要です。一方、首都圏には、東京教区に所属していない他の教区の本願寺派僧侶が、自主的な都市開教というか、いろいろな活動をしているという話も聞いています。これは教団組織という面からは、大変難しい課題だと思います。しかしある意味で、需要があるから、そうした人たちも活動できるわけですから、需要すなはちご縁を待っておられる方々に、どうしたらご縁をつなげることができるのか、あらゆる方法を模索しなければならないと思います。
【 新門 】
1978年に宗門が「都市開教」を始めて、35年になります。首都圏で本願寺派寺院のない地域に、まだ充分とは言えませんが、それでも約50の開教拠点が新たに創られました。そうした開教寺院の方にお話を聞きますと、築地本願寺の持つ信用力と言いますか、信頼性の高さを挙げられます。築地本願寺という名前を出すだけで、個人が勝手にやっている布教活動ではない、信頼できる宗門の活動なのだ、と一般の方々にも理解されやすい、ということです。
 開教従事者の方々のご苦労は、お話を伺うだけでも大変なことだと感じるのですが、多くの方の努力で新しい開教拠点ができ、そこに集うご門徒が増えていくことは、すばらしいことだと思います。
 首都圏開教の対象になる方は、大きく分けて二種類あると思います。まず、生まれた家が門徒であるとか、親鸞聖人に興味があるとか、これまで何らかの形で浄土真宗とご縁があったが、現在お寺とのご縁が薄くなっている方々です。浄土真宗の門徒だけれども、今住んでいる家の近くに浄土真宗のお寺がないから、他宗のお寺に行っているという方もおられます。こういった方々は、場所やお寺の雰囲気・寺族の方の人柄などが合えば、お寺へ来てくださるのではないでしょうか。み教えは実際依り所としている人を通して他の人へと伝わっていきます。み教えを依り所として生活している寺族の方と接する場所として、また、み教えを聞く場所としてお寺をもっと増やしていくことが必要です。
 首都圏の対象になるもう一つの方は現在、浄土真宗とのご縁がない方です。こういう方々の中には、マスコミ報道などによって宗教に対し、悪い印象を持っている方が多くおられます。例えば葬儀などについても、ただ儀式だという認識しかないため、金銭的な面も含めていろいろ批判的になりやすく、その部分ばかりが強調されて取り上げられ、固定観念のようになってしまっています。そういう方に対しては、お寺の持つ本来の役割をアピールしていかなければなりません。宗教に対する悪いイメージをなくしていく取り組みが必要です。
 例えば、築地本願寺が毎月行っているパイプオルガンのランチタイム・コンサートは、固定化したイメージを変える一つの方策だと言えますし、機関紙である『築地本願寺新報』を多くの方に読んでいただく機会にもなっています。これは、従来のお寺とご門徒の関係が成り立っている地域の方々には理解しにくいことだと思います。とにかく、様々な行事などを通して、まず築地本願寺へ来ていただけるような取り組みが必要なのです。み教えを伝える活動以前の取り組みです。
 そして、足を運んでいただいた方々に芽生えたご縁を、しっかりとつないで、み教えを伝えていく営みを、一歩一歩進めていかねばなりません。こうした活動は、み教えを伝えることができる人が何人もいて、初めて可能になります。そうした人を育てていくことも大切です。これらのことを同時に、早急に進めていかなければなりません。

写真:ランチタイムコンサートでのパイプオルガン演奏 毎月最終金曜日12:20~12:50(日程変更有り)

【 門主 】
築地本願寺が開教の助けになっているということはすばらしいことです。そして、何よりも心強いのは、都市開教を志した方々が、大変なご苦労の中でも、皆がんばり続けておられるということです。そこには確かにつながっていくご縁があるのですから。
 開教の助けになることの他に、築地本願寺のもう一つ重要な役割は、情報発信ということです。本山ではこれまでも、京都からいろいろなメッセージを発信することをやって来ました。しかし京都でマスコミに発表しても、なかなか全国へは伝わりません。せいぜい関西一円ぐらいまでです。東京から発信すれば全国へ伝わりやすいと思います。

これからの伝道

――   現代は特に都市部では仏教的習俗、仏教文化が失われてしまっています。お仏壇を持っていない家庭も多い。こうした状況の中で、み教えをどう伝えるのか。み教えの何を中心に伝えていくべきか。人のご縁に即してどのような伝道を模索すべきでしょうか。

【 門主 】
広い意味でみ教えを伝える場合、私は言葉以上に形が大事だと思います。ですから、まずご本尊を各家庭に安置して欲しいというのが私の願いです。蓮如上人がなぜ、あれほどたくさんのお名号を書き遺されたのか、想い返すべきでしょう。形として、家庭の中に礼拝する対象を備えることはとても重要だと言えます。
 次に、お寺にお参りする機会があったら「南無阿弥陀仏」と声に出して称えるという形を身に付けていただきたい。今は、本当にお念仏の声が聞こえなくなっています。
 大曲駒村という方の『東京灰燼記』(中央文庫)という書物に、1923年に発生した関東大震災での被災者の話が残されています。そこには火災に追われ、余震におびえる人々が、みな口々に「南無阿弥陀仏」とお念仏を称える様子が記されています。寄る辺なく、自らの無力さを思い知る時、自然と人々の口からお念仏が出てくださったのでしょう。当時は、東京の庶民にもお念仏が身に付いていたということでしょう。
 ではどうしたら現代の東京において、お念仏の生活を復活できるか、深刻な課題だと思っています。
【 新門 】
社会状況の変化の中で特に核家族化は、家庭の姿を変えました。み教えだけでなく様々なことが家庭の中で伝わらなくなっています。さらには個人主義的な考え方なのか、家庭で伝えなければいけないことがあるということも、否定的に捉える方が多いのではないでしょうか。また、地縁・血縁が薄れたことで、他の方の考え方を気にすることが少なくなりました。葬儀や法事の簡略化はそこにも要因があるのではないでしょうか。
 一方で、そいういった儀式等の意味を正しく伝えれば、理解・納得して大切にされる方も多いのではないでしょうか。誰でも意味のわからない読経・法話は聞きたくないでしょうし、念仏は称えたくないと思うでしょう。しかし、それが仏さまのはたらきであり、亡くなった方を通しての私へのメッセージであるとしたら、受けとめ方が随分変わると思います。
【 門主 】
私は浄土真宗の特色として「南無阿弥陀仏」が阿弥陀さまのお喚び声であるということをもっとはっきり伝えたいと思っています。「南無阿弥陀仏」は阿弥陀さまのお喚び声で、それが私に聞こえて来るし、私がいただけば今度は私の口から出てくださる。他人の口を通して聞こえて来る「南無阿弥陀仏」も、私の口から出て行く「南無阿弥陀仏」も阿弥陀さまのお喚び声である。だからいつも阿弥陀さまと一緒だし、いつも阿弥陀様に包まれていて、辛い時は励ましてくださる。いろんな時に「南無阿弥陀仏」が私を支え、導いてくださる。それがちゃんと理解されれば、声に出すことの意味もわかりやすいし、自分の身に付いた、理屈だけではないお念仏として味わうことができます。 教学上は「南無阿弥陀仏」のお念仏は「信心正因、称名報恩」ということで、救ってくださる阿弥陀さまに感謝御礼の気持ちで称えるお念仏ということになります。つまり私たちがお浄土に生まれて、さとりを開き仏に成ることができるのは、阿弥陀さまのご本願のはたらきそのものが私たちにはたらいているからであり、その救いの中に摂め取られているわが身をよろこび、その感謝の思いが声となってあらわれたのがお念仏です。
 これは正しいのですが、それをいきなり言っても、初めてみ教えに触れる方には、すぐには理解してもらえない。救って欲しいとも救われたとも思ってない人に、「ありがとう」と言えと言っても、それはなかなか伝わらないでしょう。
 私は現代人には、「南無阿弥陀仏」は感謝のお念仏だと説く前に、阿弥陀さまが私を喚んでいてくださるお喚び声だと伝える方が理解されやすいのではないか、と最近感じています。
【 新門 】
先ほど、「み教えを伝える以前の取り組み」と申しましたが、布教などでも、同じようなことを考えなければなりません。言葉一つひとつが伝わっているのかを確かめる、というところから始めなければならないと思います。
【 門主 】
従来の法話にありがちなのは、お浄土へ行きたいかどうかもよく考えていない人に、自力はだめで他力でないとだめだ、などと言うことがあります。これでは言っていることは正しくても伝わりません。はっきり表現するかどうかは別にして、まず、お浄土へ行きたい、仏に成りたいというような気持ちがあってこそ、阿弥陀さまに救われることが課題になって来るわけですから。
【 新門 】
現代人の苦悩と僧侶が説くご法話の間にミスマッチがあるのではないでしょうか。み教えを聴聞される方がたくさんおられるのですから、決して浄土真宗のみ教えが現代人に合わないということではありません。例えば葬儀にしても亡くなる方の状況も亡くなった方と遺族の方との関係も様々です。いつも同じご法話がすべての人の心に届くということは有り得ません。み教えの伝え方がもっと工夫されなければなりません。浄土真宗では占いを真実に基づかないものとして否定します。しかし、現実には、浄土真宗のみ教えよりも占いなどが多くの人に強い影響を与えているのではないでしょうか。そのことを私たちは認識し、努力しなければいけません。
【 門主 】
言葉の問題で少し加えると、例えば「他力」というのは誤解されやすい言葉ですので、私は本願力という言い方をするようにしています。阿弥陀さまの願いがはたらいているという表現で、他力よりも伝わりやすいのではないかと考えます。世間では、他力と言えば自助努力の反対概念としか思われていません。
 「悪人正機」の悪人も現代人には通じにくい表現だと思います。私は人間の 有限性とか、限りある知恵という説明で、何とか伝えようとしています。究極的には悪人という表現が必要になると思いますが、最初からこの言葉を使うと、なぜ悪い人がいい思いをするのか、という反応になる。
 何か事件でもあった時、あんな悪い人が救われるのはおかしい、とよく言います。私はこの「救い」という言葉も誤解されていると思います。救いはご褒美ではありません。浄土真宗は、善いことをしたのでご褒美で救われるという考え方ではない。悪いことしかしない、悪いことしかできない危ない人間だからこそ、阿弥陀さまは救って仏にしようとしてくださるわけです。
 いわば病人を医師が治療するようなものです。病人は叱ってもしょうがない。悪人というのは、人間の救われがたき姿を表現してはいますが、悪をそのまま助長してご褒美を与えるというようなことが救いではない。仏に成るということはご褒美ではない。仏にしないと何をするかわからない危ない凡夫だから、仏にしてくださるわけです。
 お浄土は、仏さまが建てた世界、凡夫の詮索の先にあるものです。私たちがどんなに考えても捉えきれない世界と言えます。理性では捉えきれない世界、つまりさとりの世界です。
 言葉の話になりましたが、言葉の問題だけではなく、人々のライフスタイルの変化や細分化なども重要な要素となっていくでしょう。
【 新門 】
社会の変化は激しく、年齢が10歳違えば、育った環境が大きく違います。私はバブル経済の頃が小学生でした。ですから、そのような実感はありません。しかし、10歳上の方は大学生として、20歳上なら社会人としてバブル経済の社会の中におられました。30歳上なら学園紛争を、40歳上なら戦中・戦後の混乱期を経験しておられます。逆に10歳下なら家庭用ゲーム機が、20歳下ならインターネット・携帯電話が普及している中で幼少期を過ごしています。育った環境があまりにも違うわけですから、経験や考え方に違いがあって当たり前です。本山のお晨朝で、年配のご門徒向けの法話を高校生がたくさん参拝している時にされた方があります。これでは「法話は意味がわからない、お寺には行きたくない」と思われても仕方がないのではないでしょうか。伝道においてもこうした社会の変化を認識する必要があります。
 また現代社会は仕事の種類によって人々の生活時間がバラバラになっています。どのような人向けに何をするのか、きめ細かい対応が重要になってきます。
 米国の例ですが、日曜日に家族そろってお寺へお参りする習慣があります。全員でお勤めをした後、本堂で僧侶が大人を対象とした法話をします。同じ時間に学校の先生などをされているメンバーが、別の場所で子ども向けの活動をしていました。あるいは、別のお寺では英語のお勤め・法話と日本語のお勤め・法話を別々にしていました。相手によってきめ細かく対応しているわけです。
 私は、宗門のスカウトや仏教青年会に関わっています。スカウトは小・中・高校生が活動主体で大学生はスタッフ的な立場になります。仏教青年会は、高校生・大学生・20代の社会人の方が中心です。両方とも7月末から8月上旬に行事を開催してきました。しかし、地域や学校によって違いがありますが、小・中・高校では8月下旬に夏休み後の授業を始める学校が増えてきています 一方、大学は8月上旬まで講義・試験をしている。両方が夏休みなのはお盆の時期だけです。しかし、お盆はお寺が忙しいので、行事ができないという状況です。青少年とか若い世代というように一括りにしたのでは、集まっていただくのも困難です。地域事情を考慮しながら、宗門全体できめ細かい対応を考えなければいけません。
 いろいろ制約はあることを承知で一つの具体策を挙げると、首都圏にも浄土真宗のお寺が何ヶ寺か、集まっている地域があります。そうした地域では例えば、日曜日の10時なら10時に、A寺は小学生向けの行事をする、B寺はその親向けの行事を、C寺はおじいさんおばあさん向けの法座を行う。三世代そろって、日曜日には、その地域へ出かけ、それぞれのお寺で時間を過ごす。その後三世代そろって昼食に行くというのはどうでしょうか。一つのお寺で全てやるのは最初から無理なので、協力して行えばよいと思うのです。子ども向けの活動は、普段は土・日・祝日にしなければなりません。しかし、多くのお寺は本堂を法事などに使用されていることでしょう。ですから、教区内の若手僧侶が交替で、毎週、築地本願寺の施設を活用して、子ども会や日曜学校をするということも考えられると思います。

写真:仏教青年連盟の総裁としてお言葉を述べられる新門様

伝灯ということ

――  現代社会の変化に対応した伝道というお話をいただきましたが、次代を担うということをどうお考えでしょうか。

【 新門 】
現代は、本当によいもの、正しいものが何もしなくても、ちゃんと残っていく社会ではありません。信仰だけでなく、例えばいろいろな伝統技術が継承されない、ということをよく聞きます。浄土真宗のみ教えは正しいから今のままで伝わっていくのだ、と言える社会ではないと思います。伝えるということを強く意識していかなければなりません。今までは、人から人へと姿、姿勢を通して伝わって来ました。み教えは勉強して、それで伝わるのではなく、み教えを依り所とされている人々の姿勢で自然と伝わっていったのです。
 現代社会は、核家族で地域社会のつながりも薄く、職場の人間関係も希薄です。携帯電話やインターネットなど、人と人が顔を合わせないでコミュニケーションがとれてしまう。そうした中で、み教えを依り所としている人の姿、姿勢だけでは伝わらない社会になっているのです。伝える努力をしないといけない社会になったのですから、良い悪いではなく、それに対する取り組みが必要になっているということです。
 例えば電気店にテレビを買いに行った場合、店員が自分でよいと思って勧める商品と店の方針で勧める商品では、伝わって来るものが違います。私たちも一人ひとりが、み教えを本当に依り所としている、阿弥陀さまのはたらきを感じている、それを伝えていかなければなりません。それが開かれたお寺、開かれた宗門ということになっていくと思うのです。
【 門主 】
 新門が言っているように、社会の変化は速く、大切なものを次代に伝えていこうとするならば、自らが変わることを恐れてはなりません。
 私自身のことですが、門主としての引退が視野に入っています。 私は門主に就任した時、何とか自分に近い世代の方々に浄土真宗のみ教えを受け取って欲しい、そのために努力をしようと考えました。今、同世代の方々も同じように歳を取り、私には思いがよく汲みとれない若西本願寺の両堂の蝋燭や輪灯の明かりは、い世代が増えているわけですから、ごく自この常灯明から分灯される 然なこととして、門主を替わった方がいいのではないか、と思ったわけです。 
 たまたま最近、散髪に行きましたら、私と同世代のご主人が髪型にも流行があるので、自分より30歳も若いひとの髪は刈れないと言っていました。相手の希望通りに刈ったつもりでも、満足してもらえない。後継者である息子さんが刈るとピッタリ来るそうです。髪を刈る技術にも年齢が反映されるということを聞き、新鮮な驚きでした。
 本願寺も同じように、これからの若い世代にご法義を伝えるのは、門主も若い世代の方がよいと思います。本願寺は世襲制ですから、代々伝わって来たという歴史と伝統を背負っているということが、窮屈な面もありますが、力になっています。信頼性の基になっているのです。そこで、お互い元気な時に継承した方がよいと思ったわけです。本山本願寺は、基本的に変わらないということに値打ちがあると言えます。過去の経験、いろいろな知恵を伝えていくためにも、元気なうちに継承したいと考えています。
 もう一つ、私個人は、元気なうちに引退して、今までできなかったこと、門主という立場ではしにくかったことを、是非やりたいという気持ちもあります。

写真:西本願寺の両堂の蝋燭や輪灯の明かりは、この常灯明から分灯される

写真:西本願寺の晨朝に出座されるご門主様

【 新門 】
 2012年8月に、初めて大谷本廟の「朝の法座」でお話をさせていただきました。これまで、龍谷大学や中央仏教学院、東京仏教学院等で講義はしてきましたが、寺院巡教の際、法要後の法話は10分くらいですので、ある程度長い法話をする機会がありませんでした。日々の暮らしの中の出来事を織り交ぜてお話をさせていただきました。そして、秋には大谷本廟の龍谷会と築地本願寺の報恩講で「報恩講作法」というお勤めの導師をさせていただきました。また、築地本願寺の報恩講では4年前から「浄土法事讃作法」の導師もさせていただいています。
 これらは、本来ならば本願寺の住職になれなければできないことです。築地本願寺の副住職に就任したことで、京都の本山ではできない貴重な体験を積み重ねさせていただきました。
 また、築地本願寺から首都圏という広い地域へ歩み出て、たくさんの本願寺派のお寺を訪れる機会も得ました。そこでは伝道の喜びやご苦労、地域ごとにまったく異なる社会状況などを学ぶことができました。そこで見聞して得られたものを、本山や他の地域の方々へ伝えるのも、私の大事な役割だと思います。
 現代社会の、自己中心性に陥りやすい状況の中で、親鸞聖人の説かれた浄土真宗のみ教えは、多くの人の生きる依り所となり、恵まれたいのちを生き抜く道を示す役割があると思います。様々な工夫をしながら、み教えを伝えていきたいと思います。
 
 私たちがどこか初めての場所へ行っても、例えばコンビニがあれば、それがどんな店か、何を売っているか、大体わかります。しかしお寺の場合、浄土真宗という看板だけでは、どんなお寺なのかは必ずしもわかりません。それをわかるようにしていくことが、社会的には必要なのではないでしょうか。各お寺の個性も大切ですが、共通しているのはこれだ、というものがまず必要です。
 その上で、若い人が活動できる環境を作っていきたいと思います。次代を担う人を育て、10年後、20年後の宗門の礎を創るのが、今の私に与えられた役割だと思っています。今ここから、将来の世代を考えた取り組みをしていかなければならないと思います。

写真:大谷本廟の「朝の法座」に出講された新門さま

写真:ハワイ開教区へ出向された新門さま御夫妻

【 門主 】
先月の御正忌報恩講には、本願寺へたくさんの方にお参りいただきました。京都が最も寒い時期ですが、毎年賑々しくお勤めできることは大変ありがたいことです。これからも浄土真宗本願寺派の本山として、参詣者が一人でも増えるよう努めていかなければならないと思っています。
 築地本願寺もいろいろな法要、行事の際には多くの方で本堂が満堂になることが珍しくありません。首都圏を中心としたご門徒の心の依り所として、重要な役割を果たしています。さらに今後は、今まで仏教にご縁なかった方々へみ教えをひろめるために、積極的な活動が期待されます。

写真:築地本願寺副住職として晨朝に出座される新門さま

(この対談は、2013年2月に行われました)

この記事が掲載されている寺報やすらぎ