トピックス

光心寺寺号公称100年慶讃法要・第4世住職継職奉告法要

前住職(第3世住職 横湯徹之)の末妹である三千世さんの嫁ぎ先である十勝は大正町の光心寺様は、本年寺号公称百年をお迎えになりました。この記念の年に、寺号公称百年慶讃法要、並びに鐘楼堂落慶法要、親鸞聖人750回忌大遠忌おまちうけ法要、そして、長きにわたりお寺を支えてこられた、門徒物故者追悼法要、そしてこの度、第三世住職から第四世住職へ長い間、護られてきた法灯を継承する、第四世住職継職奉告法要が、多くの僧侶、多くのご門徒参集の中、賑々しく去る7月6日に勤修されました。なかでも、昭和18年、第二次世界大戦のおり、国に梵鐘(吊り鐘)を供出されてから60数年が経過し、この度、篤信のご門徒より、梵鐘の寄進を受け、その鐘楼堂の再建に至りました。鐘の音をたよりに、今日1日の感謝を忘れない生活を送られていた先達のご苦労を思うと、心から「おめでとうございます。」と申し上げるしかありませんでした。

当安楽寺からも30名の方々がこのご勝縁に遇うことが出来ました。遠路駆けつけていただき本当に有り難うございました。この場を借りてお礼申し上げます。

祝賀会にて寸劇と合唱をご披露させて頂きました

光心寺本堂にて皆さんと記念撮影

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正信会結成50周年記念事業 島田洋七氏講演会「佐賀のがばいお念仏ばあちゃん」

札幌市内及び近郊の寺院45ヶ寺で構成される札幌組の中で、45歳までの若手僧侶で構成される正信会という会があります。親睦やお経やお作法の練習などを目的に、今から50年前に結成されました。本年結成50年という大きな節目を迎え、その記念事業として去る7月10日に「佐賀のがばいばあちゃん」でおなじみの島田洋七氏にお出で頂き、講演会を開催させて頂きました。当日は札幌市内及び千歳までの間は洞爺湖サミットの影響もあり、なにか殺伐とした雰囲気ではありましたが、正信会OBの皆様、多くの門信徒の方々や一般の方々がお越し下さり、盛会にて開催できましたこと厚くお礼申し上げます。

せっかく沢山のご来場を頂くのだからと、我々会員も何かやろうということになり、島田氏の講演会の前座として、下手くそな大喜利をご披露させて頂きました。意外と評判が良く、第2弾計画中です。

島田氏のこれでもか、これでもかという爆笑トークに腹筋がつりそうになりましたが、その笑いの中で、おばあちゃんから伝えて頂いた大切なことを私達に分かりやすく教えて頂きました。おばあちゃんは篤信の浄土真宗の門徒であり、生活信条の、「みほとけの誓いを信じ 尊いみ名をとなえつつ 強く明るく生き抜きます」という第1箇条の通り、一度きりの人生を強く明るく生き抜かれた方でありました。

現在、本願寺出版から刊行されております「大乗」という出版物に「がばいばあちゃん」連載中です。また、映画の第2弾もこの夏にクランクインする予定だそうで、多忙を極めている島田氏でございました。貴重なご縁本当にありがとうございました。

合 掌(住職記)

トピックス

納骨堂がきれいに改装されました。

先の行事報告でもお伝え致しましたが、納骨堂の新納骨壇設置に伴い、リニューアル工事が関係業者のご尽力により急ピッチで行われました。新しい納骨壇が入ることから、納骨堂管理委員会にて何度もご検討頂き、絨毯の全面取り替えから意匠工事等を行って頂き、以前よりかなり明るくなったような気が致します。また結岸(けちがん お彼岸の最終日)には、旧納骨壇使用者の皆様、納骨堂管理委員会の皆様、関係業者一同と共に、「納骨壇新設開闢奉告法要」をお勤めさせて頂きました。この度本当に急な工事となりましたが、関係各位のご尽力を頂き、きれいな納骨堂として生まれ変わりました。本当に有り難うございました。

合 掌(住職記)

御門徒様より

やすらぎ読者投稿

安楽寺仏教婦人会・門徒推進委員会 宮本光子

私はお寺大好き人間(拠り所)で、お寺が生活の一部になっています。このご縁を頂くことができましたのは、平成12年5月5日 夫の初めての月命日であったと思います。家にお詣りくださった住職さん(若さんの時)に、お寺にお詣りにいらっしゃいと進められた一言で今日にいたっています。

寺族の方は勿論、仏婦の先輩、法友の多くの方々に温く育てて頂くことができました。心より感謝申し上げます。
昨年の総会(婦人部)の時に嶋田さんより一人でも多くの仲間作り、又若婦人の育成にと仏婦活動として自分達で出来ることから始めませんか?手作り味噌は如何なものでしょうか?と提案が出ました。
その時の議長を務めたのは私です。私の力不足もあり皆様のご賛同を得るまでまとめることができませんでした。

今年の2月、嶋田さんと二人で美味しくできますよう、心をこめ、味噌を仕込むことができ、秋には皆様においしい味噌汁をご馳走できるかも?と思うと少し嬉しくもあります。
下記に”こんなことが出来るのではないか”ということをまとめてみましたので、ご覧下さい。

○道産の食材によるミソ作り
○料理講習 講師は会長さん
安楽寺の婦人部は会長さんでまとまっています。心が広く堂々として、多様に活躍され、もの知りで何ごとも臨機応変に対応されます。その会長さんの智慧袋より学びませんか?そばに素晴らしいお手本があるのに教えて頂きたいと思っているのは私だけではないと思います。
その日のできたお料理を囲んで反省会。何かテーマがあればお話し会と、皆様と共に時を過ごしてみてはいかがでしょうか。
○佐藤先生による歌の練習
懐しい歌、仏教讃歌等々……
今教えて頂いています。少し成果が上がっているようです。種をまき芽が出、花を咲かすことができると素晴らしいですね。
○お花のおけいこ 先生(会長)さん
○手芸 先生(有志)等……
があると思います。
月1回でなくとも年に何度でも良いのでは?始めて見ませんか。
お寺に足を運びましょう。
人の輪-人の和-念仏の和にするために……。

合掌

図書案内

世のなか安穏なれ

当寺の道路に面した所に大きな看板が掲げられているのをご覧いただけたと思いますが、宗祖親鸞聖人750回大遠忌法要(当寺では平成22年9月お待受法要、本山では平成23年4月より24年1月に実施)のスローガンが表題となっております。

この出処は親鸞聖人が門弟に送った手紙(親鸞聖人御消息第25通)に”世のなか安穏なれ、仏法ひろまれ”と書かれているおこころをいただいたとのことです。宗祖が不安と争いの時代にあって念仏者の目指す道を示されるなかで述べられた言葉であるが、まさに戦争への危機感や命の軽視、倫理観の欠如などに伴う出来事が相次ぐ現代社会にあって私たち一人一人が自己中心の心を反省して、同じいのちを生きている相手の存在に気付くことが求められている。自分一人を善として、相手を排除する考え方に真の安らぎはなく、善と悪に固執する偏見を破り、対立の構図を解消できるのは仏の智慧だけである。親鸞聖人が仏法が弘まり世の中が安穏であることを願われていた訳です。

本の内容は、

  • 第一章現代社会と宗教
  • 第二章宗教とは何か
  • 第三章仏教とは何か
  • 第四章戦争と平和、政治
  • 第五章現代社会の問題にどう応えるか

以上が読売新聞社の後援で立命館大学で開催した特別リレー講義「現代社会と宗教」の聴衆者よりの質問を約150問に分類整理して回答したものを掲載されております。

第六章現代日本における宗教の役割については月刊誌「中央公論」2006年4月号”人間が壊れてしまった時代に伝えたい親鸞聖人の教え”をテーマに対談の記録。
第七章日本人の心のありようを考えるについては月刊誌「文藝春秋」2004年3月号”1日五分五感を研ぎ澄ませよ人生の厳しい現実をじょうずに受け止める為に”をテーマに述べられたことを掲載しています。
大名七章宗教は戦争をとめられるかは龍谷大学アフラシア平和開発研究センター主催国際シンポジユウム「中東紛争をめぐる国際環境とアジアにおける平和への取り組み」特別講演「平和・諸宗教の相互理解と仏教の貢献」の原稿でさまざまの宗教をできる限り冷静に理解することと、仏教の持っている特色や対立を和らげる考え方を提示しています。
最後に私たちは親鸞聖人の願いを受け継ぎ、心豊かに生きることのできる世の中、平和な世界を築くために貢献したいと提言しています。

本書は2007年3月に刊行されましたが関西地区では月間ベスト10に入る人気でして著作の中でご門主が若者の質問に一つ一つやさしく丁寧に答えられていることに”ご門主の人柄の素晴らしさ、教養の高さ、そして指導者としての優しさを痛感しました”との感想があり「ご門主の心するところをどう実現していくか、行動していくかということを問いかけられている。浄土真宗と共に生きている私達門徒にとっては、かけがえのない問題提起の本」と評されています。市内の書店で購入または取寄せできますのでおすすめいたします。

世のなか安穏なれ-現代社会と仏教-
浄土真宗本願寺派第24代門主 大谷光真師
中央公論新社 定価1,260円

読みもの

真実(まこと)なるかな vol.3

月忌法要に思うこと

法務員 打本 真実

月忌法要とは、毎月のご命日のお詣りのことです。地域によって違いはありますが、北海道の多くのお寺は、御門徒のご自宅へ伺う、命日詣りを大切にされているのではないかと思います。

私も毎日、御門徒のご自宅へ月忌詣りで伺っています。その御門徒の方々の中には何十年も月忌法要を欠かさずにされている方、近年ご家族の方が亡くなられて月忌法要をされている方など様々であります。中には葬儀が終わったらお盆と祥月命日(亡くなった日)だけという方やお盆だけという方、法事だけという方もおられます。理由は色々ですが、手を合わせお詣りをするということが非常に少なくなっていることに、なにか心の寂しさのようなものを感じます。

そもそも月忌法要は誰のためにしているのでしょうか。亡くなった方、先祖の方々のためでしょうか。それとも受験を控えている子供や遅くまで残業をして疲れきって帰ってくるお父さんのためでしょうか。たしかに、亡き人を思いながらお詣りすることもあれば、家族のことを思いながらお詣りをすることもあるでしょう。しかし、お詣りをしているのは「私」であり、お経やお寺さんのお話を聞くのも「私」であります。そう考えるとお詣りをするということは、「私自身」のためということに気付かされるのではないでしょうか。ご命日の日に少しの時間でも心を落ち着け、お仏壇の前で手を合わせ、亡き人を偲びながら人間の命を問うていく、恵まれた命をどのように生きていくかということを考えていくことが、お詣りをする意義であります。

先日、月忌詣りで伺った御門徒のおばあちゃんが私にこんな質問をされました。「月命日のお詣りは何のためにしているのか。お寺さんの話しや本を読んでも何かはっきりとした答えがない」ということをおっしゃっていました。わたしはこの時、「自分はまだまだ何も伝えられていないな」ということを強く思いました。このおばあちゃんは、自分のためのお詣りとは聞かされているが、どうしても亡くなった人を供養するためにお詣りをしている自分がいるということに悩んでおられました。なぜ月命日のお詣りをするのか、私なりに色々お話をさせて頂いたのですが、うまく伝えることが出来ず、ハッキリとした返答をしてあげられませんでした。

しかしこのおばあちゃんとお話しているうちに、「供養のためのお詣り」が「私自身のためのお詣り」に通ずるものがあるのだということを感じました。亡くなられた方をいつまでも想い、その想いからお詣りをするということは決して間違ったことではなく、そういった想いを通して「命のつながり」や「自分の人生」を見つめ、振り返っていくことが大切なことなのです。このような想いは最近の世の中には残念ながら見られなくなってしまっているように思います。激しく移り変わっていく時代に生きている私たちは、何を生活のよりどころにしているのでしょうか。忙しい社会に対応しながら心身共に労せずには生きられない日々に、何を心のささえとしているのでしょう。誰もが平等にあたえられる「命の充実感」という目には見えない財宝をもっているのでしょうか。

私たちは必ず何かをよりどころにしながら生きています。お金であったり、仕事であったり、人であったり、それぞれ違います。しかし今よりどころにしているものが、真のよりどころに価するのかということを考えなければなりません。殺伐とした現代社会において、手を合わせること、命日のお詣りをすることは古くさい陰気な感じを持たれる方も多いかもしれません。しかし先祖の方々に手を合わせることが少なくなってしまった今、それが世の中の凶悪な事件などを生み出してしまうことにも繋っているのではないかと思えてなりません。

こういう時代だからこそ、もう一度古き時代にもどり、お仏壇の前で手を合わせ、お仏壇がない人はお寺の本堂で手を合わせ、人生を見つめ、社会を見つめていく必要があるのではないでしょうか。命日のお詣りや手を合わせることは日本古来の風習でありますから、お詣りをすることによって不思議なことに心が和んだり、落ち着いたりする方も多いようです。なぜお詣りをすると心が落ち着くのか、これを考えることで誰のためにお詣りをするのか、何のためにお詣りをするのか、また「真のよりどころ」とは何かということも自然と見えてくるかもしれません。

わたし自身も「真のよりどころ」というものを今一度、きびしく検討しながら生きて行きたいと思うことであります。

合 掌

浄土真宗

永代経とは

本来は永代読経の意味で、寺院において故人の命日などに永代にまで読経することである。
一般の寺院では春秋に期日を定めて永代経法要を行う。他宗では追善供養の為とされるが、浄土真宗では追慕とともに、自分自身が法を聞く機会として意味づけられている。