トピックス

寶流寺様 本堂耐震改修・庫裡新築落成慶讃法要・親鸞聖人750回大遠忌法要

去る8月25・26日の両日、川沿 寶流寺様の本堂耐震改修・庫裡新築落成慶讃法要、親鸞聖人750回大遠忌法要が勤修されました。

25日は御法要の後に上方落語があり、門信徒の皆様方、大変喜ばれたようであります。翌日26日は、庭儀があり、かわいらしいお稚児さんが、法要に花を飾り、賑やか且つ、荘厳に御法要がお勤まりになりました。引き続き、祝賀会が盛大に開催され、いずれも慶びに包まれた温かい時間となりました。本当におめでとうございます。 

■慶びの表情の住職様

■新築された庫裡外観

■御法要

■讃嘆衆として花を添えさせていただきました

■祝賀会でご挨拶される善住寺住職(相焼香)

 
トピックス

総代長 立山一雄氏葬儀

去る8月16日、半世紀にわたり当寺総代としてご尽力賜りました前総代長立山一雄氏が往生の素懐を遂げられました。

氏は、地域のことはもちろんのこと、様々な場所でご活躍された方でございました。葬儀当日はたくさんの会葬の方がおまいりくださいました。

ひじょうにつらいお別離れのご縁でございましたが、教えていただいた大切なことをひとつ一つをしっかり心に刻み、精進して詣りたいと思います。長い間本当に有難うございました。

■2011の元旦会でのスリーショット

■葬儀

■本願寺より弔慰状伝達

■第2会場(1Fホール)

■第3会場(幼稚園ホール)

トピックス

お盆・里塚霊園役員総参拝・盂蘭盆会

今年も8月1日~11日までの間に、門信徒の皆様のお宅へお盆の勤行に歩かせていただきました。大変暑い夏でしたが、なんとかおまいりさせていただきました。
8月12日は毎年、里塚霊園の安楽寺六角堂へ役員総参拝させていただき、先達のご苦労をお偲びさせていただきました。8月13日~16日まで、お寺の納骨堂でお盆の勤行をさせていただきました。懐かしい方々との再会が出来て嬉しかったです。8月16日は特に、盂蘭盆会のお勤めをさせていただきました。初盆を迎えられるご遺族が多数おまいりされておりました。
布教使には毎年、平岸大乗寺御住職 打本大志師に御出向いただき、分かりやすく浄土真宗のみ教えをお紐解きいただきました。

■納骨堂でのおつとめ

■安楽寺六角堂

■毎年、門徒推進員の皆様にお手伝いを頂戴しております

■寧々もおまいりさせてもらいました

■布教使 打本大志 師

■役員総参拝

■お墓までひどい渋滞でした!

■盂蘭盆会のお勤め

■たくさんの御参詣でした!

 
読みもの

教え tell me – vol.6 無碍の一道(むげのいちどう)

早いもので今年も前半が終わり、あっという間に残り半分を切ることになりましたが、皆様には、いかがお過ごしでしょうか?お寺では、上手にハイハイしていた赤ちゃん(住職の娘さん)が、いつの間にやらタタタッと元気に歩き出す様子を目の当たりにし、生まれてきてよかったねとその成長に驚きをかくせません。

大人である私たちにとっては当たり前のように思えることであっても、赤ちゃんにとって、そのすべてが感動 今、生きている喜びをからだ全体で感じ表現していくその姿が、改めて当たり前の大切さを教えてくれている日々であります。

さて、子供のころといえば、私が実家の日曜学校でいつも最初に歌わされていた「仏の子供」という歌を思い出します。歌詞を紹介しますと

我らは仏の子供なり♪ 嬉しいときも 悲しいときも♪ み親の袖に すがりなん♪

あらためて見ますと、大人になった私たちにも大切なことを教えてくれる歌だと分かります。それは、嬉しいときも 悲しいときも の部分です。

私たちは、嬉しいことがあると飛び上がるほどに喜び、悲しいことがあるとドン底に沈んだようになる、浮き沈みのある人生を送っています。

それは、嬉しい楽しいとがある生活を幸せとし、悲しいつらいことがある生活を不幸と決め、今ある生活がよりよい状態になることを望みながら毎日生きているからです。

ところが、現実の生活では私たちの望まない、地震・大雨台風・大雪・交通事故と、想像をはるかに超えたことが起こり、普通では受け止めることができないような場面に出くわすことがあります。

今から800年前に生活しておられた親鸞聖人も、きっと私たちと同じような場面に出くわしたことかと思います。それを受け止め乗り越えられた言葉が、歎異抄という書物の中にある「念仏者は無碍の一道なり」であります。

念仏者とは、今ここにあるありのままの自分の姿を受け入れ、日々を精一杯、生き生きとした気持ちで生活している人であり、またその人こそが、たとえどのような状態にあってもそれを受け止めて生きていくことができる ’無碍’の道を歩ませていただくことかと思います。

親鸞聖人が歩まれた「無碍の一道」に、私たちも日々の暮らしの中で気づかせていただけるよう、共々に感謝のお念仏を称えていきたいものです。

合掌

読みもの

死んだらお仏壇を閉める?…臨終勤行で

死亡の知らせを受け、臨終勤行(「枕経」)にお参りしますと、お仏壇のある部屋に遺体が安置されているにもかかわらず、そのお仏壇の扉が閉められていることがしばしばあります。其の半面、遺体の前には葬儀社が用意した白木の卓(つくえ)にローソク立てなどの三具足(みつぐそく)やおリン、それにご飯を山盛りにした故人の茶碗がきちんと並べられていたりします。

しかしながら、私たちがお勤めするのは、遺体に対してではなく、お仏壇の如来さまに対してなのです。真実のお浄土をこしらえ「必ず救いとる」と誓われ、故人との別れに嘆き悲しむ私たちに「しっかりしなさい。私がついているから…」と励まして下さる如来さまのお心をいただくのです。お仏壇の扉を閉めてしまったのでは何にもなりません。

確かに、故人への未練は絶ちがたく、どうしても遺体の方へ目が向きがちになります。しかしいくら心をこめて「成仏してくれ」と願ったところで、私たち凡夫に故人をお浄土へ往かせてあげる力は、残念ながらありません。

お浄土へ生まれさせ成仏させることができるのは、如来さまをおいてほかはないのです。故人も、そして悲しみにくれるこの私も、阿弥陀如来のおはたらきによって救われ、また心底からの安らぎを与えられることを味わわねばなりません。

私たちは、こうした悲しみを縁として人生無常の理をかみしめ、生死を超えて代わる事のない如来様の真実のお心を依り所に生き抜くことこそ、大切であると意得ましょう。故人もきっとそんな生き方を願われていることでしょう。

ですから、平生(へいぜい)はもちろん、臨終から一連の葬儀についても、如来さまに対して勤行や合掌が行われるのであり、遺体や遺影に対してではありません。もしお仏壇がなければ、お名号などのご本尊を奉懸(ほうけん)し、その側に遺体を安置します。

なお、遺体は釈尊入滅時にならって北枕にしますが、特にこだわる必要はありません。

ポイント
◎臨終の時にお仏壇を閉めるのは間違い。
◎遺体ではなく如来さまに合掌。
◎北枕にこだわる必要はない。

読みもの

御礼

このところ暑い日が続いておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。

先般、父池田壽儀に際しまして、遠路わざわざご会葬賜り、またご丁重なる御香料、お心のこもった御供物を賜りまして誠にありがとうございました。厚く御礼申し上げます。

平成23年1月、父は、食事の際の喉のつかえ感を診てもらうため病院へ行ったところ、その日のうちに胃癌だと診断されました。

今になって思えば、私達の結婚式(平成22年夏)の頃から「喉に何かひっかかるような感じがする、胃の調子がよくない」等と言っておりました。大食漢の父だったため、食べ過ぎか逆流生食道炎かぐらいに簡単に考えておりました。突然の宣告に驚き、急遽帰省し担当医からお話を伺ったところ、父に残された余命は短いものでした。
すぐにでも手術をした方がよいとのことでしたが、父本人は「初めての孫が6月に生まれてくるから、先生、孫の無事を見届けるまでは手術台には乗れない。孫を一目見ることが出来たら、その後は全て先生の言うとおりにします。」と言い張り、寧々の誕生を見届けた後、その年の7月に手術を受けました。

手術は受けたものの容態は思わしくありませんでした。
それからは、父へは病状や余命を伏せ(告知を拒みましたので)、化学療法だけでなく免疫療法・温熱療法等受けてもらいました。明るく楽しいことが大好きで、これまで病院など通ったこともない父でした。不安と苦痛ばかりの日々だったと思いますが本当に頑張って病と闘っておりました。

今年2月頃から、食事がほとんど摂れなくなり、3月には声が出なくなりました。癌細胞が声帯を巻き込んでいたためでした。病状は伏せていたものの本人もあまりの体調の悪さから「お母さんのことを頼むな。」と言い、枕にかけていたタオルで顔を覆いながら肩を振るわせていた姿が今でも頭から離れません。

時には、「母のことを頼む」と言い、時には「寧々が歩くようになったら、浜辺に行き2人でカニ釣りをする。秋には一度家に帰りたい。」と言い、自分の身体の変化に不安を覚えながらも生きたいと懸命だったのだと思います。
余命を伝えることが出来なかった私達ですが、それが本人にとって良かったのか悪かったのか今でもわかりません。ただ、父の命が尽きる最期まで父は生きようとしました。体中に管を付けられ、意識朦朧とする中、物を握る力などないはずなのに、呼吸が苦しくなると自分で酸素バッグを押していました。父の躰につけられた心電図波形がモニターで表示されるようになり、日毎血圧・酸素濃度が下がっていきました。数値が下がるたび「お父さん、お父さん」と皆で声をかけるのですが、血圧も酸素濃度の下がっていく一方でした。ただ、寧々が声をあげる度、その数値は少しだけ上がりました。薬で眠らされて意識がないと思っていたのは私達だけで、父の耳には寧々の声が届いていたのだと思います。

加療中、父から何度も何度も「こんなに元気に生まれてきてくれたんだ。寧々を大切に育てろ」と言われました。父の入院や治療に関して私は何も出来ず、母と妹にまかせきりだったにも拘わらず、父はいつも寧々のことばかり気にかけてくれました。どんなに辛い日でも寧々が病室に行くと起きあがって、あやしてくれました。出来る限りの力で寧々を可愛がってくれました。

お恥ずかしいことですが、今はまだ父の死を受け入れられずにおります。
実家に行ったら、病院に行ったら、父に会えそうな気がしてなりません。
父が亡くなったんだと感じさせられるのは、小さくして持ち帰った父の遺影を見るときです。遺影を見る度、父にはもう会えないことを痛感いたします。

父にはもう会えないけれど、娘の寧々の中に父がいる、父がいて私が生まれ、そして寧々が生まれました。お陰様で日々驚くほど娘は成長しております。父が亡くなってから3ヶ月が過ぎましたが、今では1人で立ち、歩き、片言ではありますがおしゃべりもします。簡単な意思の疎通も図れます。立ってヨチヨチと歩き、すぐにお外に行きたがり「はっぱ、はっぱ」と草木を指さし、お腹が空くと「マンマ、ウマウマ」と寄ってきます。この姿を父にも見てもらいたかったと娘の成長を見る度にそう思います。

父が病に侵され、命を終え、今日までに沢山考えさせられました。父の死により沢山教わりました。苦しみ、病への憎しみ、親や妻、子どもを案じる気持ち、戦う強さ、不安、生きていることの大切さ、家族の大切さ、父の死を以て教わりました。

受け入れ難い現実ではありますが、父が私達に残してくれた多くのことを大切にしながらこれから生きていきたいと思います。

最後になりましたが、皆様には、父の入院加療中よりご心配賜り、また温かい励ましのお言葉を頂戴いたしましたこと、この場をお借りし改めて御礼申し上げます。
北海道の夏は短いとは言え、まだまだ暑い日は続きそうです。皆様どうか体調を崩されませんようお身体ご自愛下さい。                      

合 掌

読みもの

御礼のこと

平素より門信徒の皆様におかれましては当寺護寺発展の為にご尽力を賜り誠に有り難うございます。

寺報「やすらぎ」32号の紙面をお借りし、一言お礼の言葉を述べさせていただきます。
下の詩は私の弟(常照寺住職)が母を想い綴ったものであります。

母の葬儀には遠くからお詣りいただき又たくさんの方々からのご香儀、暖かいお言葉をかけていただきまして本当にありがとうございました。
お陰さまで心のこもった葬儀が出来ました。この紙面を借りてお礼申し上げます。

母は約100年、1世紀の永い生涯を閉じ6月18日にお浄土へまいらせていただきました。

ふり返りますと母は歌志内広大寺の三女として生を受け(大正3年4月13日生)茂尻説教所に着任していた島根県長玄寺の四男、佐々木重誓と結婚致しました。
11人の子宝に恵まれ、私は次女でありますが小さな時に兄弟5人が亡くなり現在6人が健在であります。

母は開基坊守として、父と一緒に本堂、庫裏、鐘楼堂、納骨堂を物のない時代にご門徒の方々一丸となって建立したと聞いて居ります。私はまだ幼少だったので、うるおぼえですが、本堂建立の時の盛大なもちまきの光景が思い出されます。
又、父は昭和14年頃にノモンハン事件に出兵し、旧満州チチハルへ移住し、母もその時は一緒に異国の地を踏んだそうです。
たくさんの子供、孫、男の子は全員僧侶にならせていただいたのが母のよろこびでもありました。
特に私は忙しいお寺に嫁いだので、常照寺がひまな時はよくお手伝いにきてくれ、台所仕事は一手に引き受けてくれたこと、現住職の誓之、千重子、通子の成長をとてもよろこんでくれていました。晩年はたくさんの孫達、ひ孫に囲まれながらの生活でしたが、年には勝てず、とうとう病院に入ることとなりました。病院に見舞に行くととても喜んでくれ、三人の娘の名前をよく呼んでくれました。

明るい人柄でユーモアがあり話し好きの正確で五問と三と親しく接している姿を見せてもらうたびに私も母を見習いながら又、お手本としながら生活させていただこうと思いました。
老いて病んでゆく老病死をまざまざと見せつけたその生き様は残された子供達孫、ひ孫たちの今後の人生の歩みに、大きな影響を与えてくれたと感謝しております。
私も安楽寺に嫁いでもうすぐ50年になりますがこれからも、ご門徒の方々にお育ていただきながら私の出来るお手伝いをさせていただこうと思って居ります。

ありがとうございました。

合 掌