トピックス

第30回全国保育大会 7月25日・26日

去る2015(平成27年)7月25日(土)、26日(日)の両日、「まことの保育第30回全国大会」が本願寺第25代御門主専如上人様ご臨席の下、全国より600名を超える方々のご参加を頂き、夏のさわやかな風が吹く北海道で盛大に開催されました。

この度は30回の記念すべき大会であり、担当させて頂いた北海道教区の先生方に於かれましては、約1年半前から準備に関わってくださり、大変な尽力を頂きました。私自身も事務局長として微力ながらお手伝いさせていただきましたが、日程的にお盆、報恩講も近く、毎日頭がウニのようになっていましたが、何とかお勤めすることが出来ました。

また、急遽、札幌組内の御寺院様の合唱団の皆様にも開会式にてお手伝いを頂戴することとなり、当寺女声合唱団「シャンティ」の皆様にも、何かとお忙しい中お手伝いをいただきました。

二日間で感じたことは、今大会研修の願いは「まことの保育」の理念が具体的に保育の現場でどのように表現され、響き合うのかを現場の先生方の目線で学び合えるものとしました。これからもどんどん僧侶だけではなく実際に現場に出ておられる先生方の立場に立った研修や学習会を組、教区、そして今般の全国大会のような大きな大会でより良いものを企画、提供していく必要性があることをあらためて感じたことでございました。

御門主様(専如上人)

 

シャンティの皆様に開会式に於いて仏教讃歌を唄っていただきました

実行委員としてお手伝いいただきました寶流寺御住職と当寺住職

写真

おもしろフォト vol.10

「私達仲良しで~す♪」と聞こえてきそうですね

法要前に本堂の裏でこんな感じで行事鐘を力一杯打っています(暉峻)

二人とも吸い込まれそうな口で「ガタタンラーメン」をほうばっていました!!

夫婦漫才のように準備をしておりましたが出来上がったお花がこれです。凄いですね。

お経の本、近くな~い???

トピックス

門徒推進員中央教修に参加 黒田雅憲御夫妻

この度、ご門徒の黒田雅憲御夫妻が京都本願寺での第240回門徒推進員中央教修に参加して下さいました。

 これは一年間、札幌での連続研修会を受講された後、受けることの出来る研修で、今後は「門徒推進員」としてご活躍いただきます。門徒の範となるというと重圧がかかりますので、住職を助けるくらいのお心持ちでいただけると幸いです。

お二人に感想文をお書きいただきましたのでお読み下さい。

「門徒推進員中央教修に参加して」

黒田雅憲(法名釋雅憲)

私はこのたび3泊4日の門徒推進員中央教修に参加しました。

参加する前は果たしてこのような教修に、自分が参加して良いのか、大変不安でしたが終わってみて今は本当に良かったと思っています。

全国各地から参加した大勢の仲間と知り合いになり、スタッフの皆様方のリードで、朝から夜までの日程をこなし、本当に充実した4日間を過ごさせていただきました。特に帰敬式、決意表明式では、今まで経験したことのない厳粛な気持ちになり大変感動しました。また、話し合い法座を通して様々なテーマについて日頃感じている思いや考えていることを語り合い、同じ班の人達の日常的な悩みや思いを知ることができ、これまでの自分の人生を振り返り反省する良い機会になったような気がします。

中央教修終了後は、京都に2泊し、浄土寺の佐々木住職様のお世話で親鸞聖人の生誕地日野、修行の比叡山等に行き聖人の足跡を見学し帰ってきました。

ご縁をつないでいただいた当寺住職様、坊守様はじめ中央教修のスタッフの皆様方、お世話になった多くの皆様方に深く感謝いたします。

ありがとうございました。

「第240回門徒推進員中央教修に参加して」

黒田祥子

第16期札幌組連研を昨年10月に終了し、5月29日から6月1日までの4日間中央教修に参加させていただきました。今まで会う事のなかった全国の方々とずっと前からの知り合いの様に、自然とお話出来ました事、とても不思議に感じております。朝早くから夜まで規則正しい生活でしたが学生時代の合宿の様でつらいとは思いませんでした。班ごとの話し合い法座では皆さん門徒推進員になるという自覚を持っていて、連研終了後の流れで深く考えもせずに参加した事を恥ずかしく思いましたと同時に、真剣に考えておられるお姿に頭の下がる思いでした。

2日目の晨朝参拝のあと帰敬式を受式し法名をいただきました。3日目の決意表明式では54名中の1番最初で緊張してしまい、決意表明のあと頭が真っ白になって繰り返し練習したにもかかわらず法名を名乗るのを忘れてしまいましたがろうそくの灯りだけの式は大変厳かな雰囲気で感激いたしました。

4日目に修了証をいただきました。そのあとは連研で一緒だった浄土寺さん3名、如来寺さん4名、光圓寺さん1名と安楽寺2名、京都に2泊して浄土寺の佐々木ご住職の案内で日野の誕生院、青蓮院、曼殊院、比叡山と親鸞聖人の足跡を見学させていただきました。最後になりましたが、お世話になりました全ての皆様方に深く感謝申し上げます。ありがとうございました。

本願寺御影堂

本願寺阿弥陀堂

読みもの

教え tell me – vol.11 夏といえば…

気がつけば今年もなかばが過ぎ、あっという間にお盆の時期を迎えることになりましたが、みなさんいかがお過ごしでしょうか?私はというと、夜は夜で遅くまでテニスを応援し、朝は朝で早くからサッカーを応援するという日本応援日が多かったような気がします。

 また、お寺では4歳を迎えた寧々ちゃんが毎日汗まみれになりながら、元気いっぱい夢がモリモリと成長する姿を目の当たりにすることで、当たり前のように思える毎日が実は大切な毎日であることを教えられています。

さて、夏といえば、子供のころからの定番【夏祭り】が思い起こされます。私が幼いころ必ずといっていいほど家族で地元の花火大会に出かけ、リンゴ飴に金魚すくい、フランクフルトに型抜き、とひとしきり夜店をまわった後にみんなで眺める花火、そして最後にいつもの喫茶店で食べるかき氷が特別な味に感じられたものです。遠い子供のころの思い出とはいえ、おとなになった今も記憶に残っているのは本当にありがたいことです。しかしながら、大人になるにつれ楽しむ側から、楽しませる立場になることに徐々に気づかされます。

大学時代は子供たちを引率し、夏のキャンプを楽しんでもらうために様々な工夫を凝らすのに苦心しました。また、おとなになってからも、開教使として米国に赴任させていただいていたときには、今度は寺の檀家さんたちと会議を重ね【さくら祭り】のイベント成功のために創意工夫を重ねたものです。あらためて考えてみますと、子供の頃に楽しんでいた私たちが、今こうしておとなとなり、今度は子供たちを楽しませる立場になったのには大きな理由があります。

それは、大人になった私たちにとって大切なことを教えてくれるひとつが、子供の成長する姿にあるからではないでしょうか。私たちは、生きていく上で嬉しいことや悲しいことをきちんと受け止めて生きていかねばなりません。それは、最初からできることではなかったはずです。それがきちんとできるようになったのには、まず先輩たちから大切なものをいただき、そしてそれを次の世代へと伝える、その伝達こそが今生きている喜びが生まれてくる【お念仏】の教えだったと気づかされるのです。「念仏者は無碍の一道」と言う言葉がありますが、それは今ここにある私が、たとえどのような状態にあってもそれを受け止め、生きていくことができる道を教わり、そして教えていったからこそ、今もこうして念仏の声が続いていると感じています。

合 掌

読みもの

棺には遺体とともにお名号が…納棺尊号

葬儀の風習は同じ浄土真宗であっても地方によって若干異なる物があるようですが、多くの地方で、出棺前に「納棺尊号(のうかんそんごう)」というお名号(みょうごう)を書いた紙を棺に入れるならわしが行われています。

これは、浄土真宗の礼拝の対象が阿弥陀如来のみであることと深く関わっています。

と言うのは、葬儀場では、もちろん正面にご本尊(絵像または名号)をおかけして礼拝読経が行われます。しかし、葬儀が済んで遺体を火葬場へ運ぶときや火葬場に着いてからは、ご本尊がない場合が多いのです。つまり、そうした改めてご本尊をかける機会がない場合に、棺の中のお名号が礼拝の対象になるわけです。

例えば、葬儀の時、いわゆる霊柩車(れいきゅうしゃ)に棺を載せてお見送りをします。この時、合掌礼拝します。遺体に手を合わせているようですが、実はそこには「納棺尊号」が置かれてあり、如来様に合掌している形になっているのです。

また、火葬場では、到着するとすぐに棺を窯に入れ、礼拝読経が行われます。このときも窯の中の遺体にではなく「納棺尊号」に礼拝していることになります。

私たちは、故人との縁が深ければ深いほどその遺体への未練は絶ちがたく、故人への思いが募ればどうしても遺体のほうへ目が向いてしまいます。人間として、それはむしろ自然なふるまいと言えましょう。

だからこそ、私は「納棺尊号」を入れるようになった意味があると思うのです。遺体に目が向きがちな私たち凡夫のために、遺体とともに、お名号がきっちりと置かれてある。それは、如来様がいつでもどこでもおいでになってくださっており「頼るべきは阿弥陀さまなのだ」ということに気づかしめようとされたのでしょう。

ともあれ、棺の中には遺体とともにお名号が納められているのであり、そのお名号に合掌礼拝しているということを覚えておいてください。

ポイント
◎棺の中には「納棺尊号」といって、お名号が入っている。
◎遺体にではなく、そのお名号に合掌礼拝する。
読みもの

「やすらぎ」38号発刊にあたり

慈光照護の下、門信徒の皆様におかれましてはご清祥にてお過ごしのこと大慶に存じ上げます。又、日頃より当寺護寺発展の為に並々ならぬご尽力を頂いておりますこと、重ねて御礼申し上げます。

寺報「やすらぎ」第38号を門信徒の皆様のお手元へお送りさせて頂きました。

さて、月日が経つのは本当に早いもので、新年を迎えたと思ったら、春が来て、もうお盆を迎えるという時節となりました。ここまで何が出来たのかと振り返ってみても、もったいなく、ただただ時間だけが過ぎ去ってしまったような気が致します。もっと毎日毎日を噛みしめながら歩んでみたいものです。

すでにご案内の通り一昨年より、7月の下旬からご門徒の皆様のお宅へお盆参詣させていただいております。今年も、叔父や法務員さんにお手伝いをいただき、8月11日まで全門信徒お盆参詣をさせていただきます。例年通り、12日には役員総会を開催し、お昼頃に役員総出で里塚の安楽寺六角堂へお詣りさせていただきます。13日から16日の午前中まで、納骨堂にお詣りされる皆様と共に先人をお偲びさせていただきます。16日の午後1時よりお盆の締めくくりとして「盂蘭盆会(うらぼんえ)」のお勤めを致します。たくさんの御参詣をお待ちしております。特に、大切な方を亡くされてから初めてのお盆をお迎えされるご遺族の皆様には、大切な御法縁となることと思います。是非とも御参詣いただきますようお願い申し上げます。

また、毎年8月20日には、厚別区の開拓功労者、戦没者の追悼法要を午後1時からお勤め致しております。以前までは厚別区のご協力をいただきながら、御隣山の真宗大谷派智徳寺様、真宗興正派大行寺様、そして当寺のまわり番でお勤めをさせて頂いていたのですが、遺族会も解散となり、数年前より当寺を会場として、智徳寺御住職様、大行寺御住職様にご出勤頂きお勤めさせて頂いております。今年は特に戦後70年という節目を迎える年ですが、世論と時代と逆行するかのような政治判断がなされようとしております。

法句経というお経の中に、「己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」という文言があります。「殺される気持ちになりなさい、殺される側にたちなさい。殺される恐怖や苦しみを感じ受け止めるならば、人を殺すことは出来ない、人を殺す側にはたつことはありえないでしょう。」という意味です。この地球上において国や政治が全てを正当化して「正義」の名の下に人が人を殺すことが出来るのでしょうか?自衛隊がより活動しやすくなる等のご意見もあるようですが、これから日本を支える若い人達を人殺しにしては私はいけないと個人的に考えています。何かずれているというか腑に落ちない精神状態ですね。

もっと多くの方々が感心を持って真剣に考えていかなければならないと思うことでございます。この国はあやまちを犯してきたんですから、その経験から生まれた感情、思いを世界に伝えていくことの方が、憲法を改正するよりも、もっと大切なことと考えます。8月20日、開拓功労者と戦没者の追悼法要をお勤め致しますが、このご法要は戦地へ赴いた当寺第2世住職横湯通之の発案から生まれた法要です。行政に声をかけこの厚別のために尽力された方々を追悼してきた法要です。今は大変こぢんまりとした法要となりましたが、厚別区以外の方で戦没者がおられるご家族様には、是非ともご参拝下さい。

お盆という時節、あらためて先人を偲びながら、ここまでの私の人生の歩みを振り返る、戴いたたった一つの「いのち」の有様を見つめさせて頂く。そんな尊いご縁を先人を偲びながら頂戴するのが浄土真宗のお盆の頂き方でありましょう。共々に、このお盆を通して、大切なことに気づかされ、ほとけさまの願いにふれさせて頂きましょう。

合 掌

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空泉寺第24代坊守荼毘式 7月16・17日

去る7月16日に、前住職 横湯徹之の従兄弟にあたる、富山県南砺市福野の空泉寺第24代坊守 安達多津様の葬儀に出勤させていただきました。

遠く離れた親戚ですが、富山県と北海道との縁を繋ぐご縁に遇わせていただき感謝しております。

安達多津様は17歳の時に射水郡水戸田の西方寺(安楽寺第2代坊守 横湯百合の生家 祖母の姪っ子になる)から空泉寺様に嫁ぎ、すぐに第2次世界大戦による徴兵でご主人である第24代住職と離ればなれになり、お寺を一人でお守りになられました。戦後、かろうじて帰国できた住職が今度は教壇に立ち、学校の先生として奉職された後も、お寺を一人で切り盛りされ、大変なご苦労をなさいました。

 厳しさと優しさを兼ね備えた方で、私も北海道の従兄弟の子供としてひじょうに可愛がっていただきました。

有縁のご法中の皆様、門信徒の皆様と共に坊守様の長年のご苦労を偲び、心から「ご苦労様でした。有難うございました。」と送ることが出来ました。

合 掌